秋田近代史研究会

秋田県の近現代史を考える歴史研究団体です。

2022年秋季研究会のお知らせ

花火伝統文化継承資料館 はなび・アム

秋も深まり冬の気配が感じられる季節となりました。新型コロナウィルスは収束しそ
うに見えながらも収まらず、今冬は第8波とインフルエンザの流行が重なりそうです。
対応を十分にしてウィズコロナの時代を乗り切りたいものです。
さて秋季研究会を次の内容で行います。ふるってご参加ください。
なお会場内では新型コロナ感染に十分留意のうえ、黙食で昼食をとることができます。
食堂やコンビニまで少し距離があるので弁当の持参が便利です。
◇日 時:11月26日(土) 9:50~15:00
◇会 場:花火伝統文化継承資料館 はなび・アム
大仙市大曲大町 7 ‐ 19 ☎ 0187-73-7931

◇研究会日程
9:50 ~ 開会行事
10:00 ~ 11:00 報告1 柴田知彰(秋田近代史研究会)
「小坂鉱山煙害問題をめぐる郡制期の地方自治
~郡役所文書群の構造分析、郡会議事録の分析等より~」

概要
郡制期には郡会が開設され不完全ながらも地方自治の形になった。これに対し郡
役所には官選郡長が置かれ県庁と密接な連絡を取り町村を監督、かつ郡会とは連携
と対立の関係が見られた。この時期の郡レベルの地方自治の実態解明には、特定の
事件に関して郡役所と郡会双方の史料を突き合わせる方法が有用である。その前提
として郡役所文書群の構造が郡会開設後にどう変化するかを解明する必要がある。
今回、明治末から大正期にかけて鹿角郡北秋田郡の郡会で重大問題となった小
坂鉱山煙害対策を取り上げる。郡役所と郡会の史料から事実を分析し、郡制期の地
自治の実態を浮き上がらせてみたい。ただし秋田県公文書館に保存されている鹿
角及び北秋田郡役所文書群は体系的に残っていないため、前提としての郡役所文書
群の構造分析には雄勝郡役所文書群を使用したい。

11:00 ~ 質疑応答

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11:20 ~ 12:20 報告2 水谷悟(静岡文化芸術大学)
「大正期の雑誌メディアと秋田県下の読者
~『中央公論」『第三帝国』『種蒔く人』を事例として」

概要
大正期には民主主義・社会主義自由権社会権参政権、生命・教養・文化、
反戦平和・民族自決、女性解放・部落解放などをめぐり多くの議論が展開された。
なかでも吉野作造「憲政の本義」論文を発端とする民本主義論争は広く知られてい
るが、それらの内容を社会に届けたのは『中央公論』『新公論』『太陽』『雄弁』『第
三帝国』『洪水以後』などの雑誌メディアであった。各誌は創刊の趣旨や編集方針
に基づいて論説等を掲げ、国内外の情勢や思潮を伝える役割を担った。総合誌が著
名な論客や作家の文章を看板に部数を伸ばす一方、論者らの議論と読者からの投書
により双方向性のある言論空間を創出する評論誌も登場した。
本発表では『中央公論』『第三帝国』『種蒔く人』の三誌を取り上げ、「大正デモ
クラシー」思潮を牽引した雑誌メディアの活動に滝田樗陰、石田望天、金子洋文・
小牧近江ら秋田出身人士の存在と県下読者による支持が深く関わっていた事実を指
摘し、当時の政治動向を踏まえて近代日本における秋田の地域的特性を考察したい。
12:20 ~ 質疑応答
12:40 ~ 13:30 昼食
13:30 ~ 14:30 報告3 清水翔太郎(秋田大学)

「近代における秋田藩主佐竹義和の顕彰と旧藩士

概要
秋田藩九代藩主佐竹義和は、熊本藩主細川重賢、米沢藩主上杉治憲とともに藩政
改革を主導した「明君」とされる。細川と上杉は「明君録」の流布により、在世中
から広く知られるなど、彼らの明君像が受容される過程は、近年の近世史研究で明
らかにされている。一方で義和については、近世において「明君録」が作成され、
流布した形跡はない。義和が「明君」として広く知られるようになったのは、明治
末年から行われた旧秋田藩士による顕彰の影響が大きいと推察される。
本報告では、大久保鉄作『天樹院佐竹義和公』など、旧藩士による伝記や、旧藩士
が収集した史料群における義和に関する記録に注目して、義和明君像が近代におい
て形成、受容される過程を検討する。また近代において顕彰された秋田藩主は義和
のみならず、初代義宣や12代義堯も対象とされた。旧藩士による一連の藩主顕彰の
動向をふまえて、義和の顕彰の位置づけについても考察する。
14:30 ~ 質疑応答
14:50 ~ 閉会行事